千葉県の地質、地形の成立ちと森林
はじめに
館山市の鏡ヶ浦には、現在、陸続きの沖ノ島と高ノ島があるが、下の地図のとおり、関東大震災までは2つの島は文字どおり独立した島であった。
房総半島の中南部は、60年から250年に1度、繰り返し起こる大規模地震のたびごとに隆起している。下の地図に、館山市沼という地名があるが、関東大震災前後で沼の地名が内陸側に移動している。これは、土地が移動したのではなく、陸地全体が隆起したことを示している。
なお、歩いて渡れる沖ノ島は、鳥散布の樹木をはじめ、海底に生える種子植物アマモ、太平洋側の北限植物ハマナタマメなど、島特有の植生や海浜植物の観察に絶好のフィールドといえる。
関東大震災以前では、1703年元禄大地震による隆起、さらにそれ以前の大規模地震に伴う隆起が3回あり、鏡浦沿岸で計5つの海岸段丘が確認でき、それぞれの段にサンゴの化石が見られる。縄文時代以降、造礁サンゴは、この付近の浅い海底に生育しているもので、大規模地震のたびに海底が隆起し、陸地になったことがわかる。
樹幹周囲が7.45m、推定樹齢800年とされる巨樹、「沼のビャクシン」は、県内最大のビャクシンで、一見の価値がある。
館山市沼地先のビャクシン巨木
▶日本列島の形成~2つの大陸プレートと2つの海洋プレート
地球の表面を覆う地殻は、陸と海の基盤となっている複数の大陸プレートと海洋プレートに分割されている。海洋プレートは、その下のマントルの動きの影響を受け、他の海洋プレートまたは大陸プレートの下に沈み込んでいる。
日本列島は、これらのプレートの移動に伴って形成されたが、約2.500万年前に大陸の一部から分離し、約500万年前に現在の日本列島に近い姿が形成された。すなわち、2つの大陸プレート(ユーラシアプレートと北アメリカプレート)と2つの海洋プレート(フィリピン海プレートと太平洋プレート)にまたがって日本列島が形成されている。
▶房総半島の成り立ち(Ⅰ)
日本列島付近には、下図のような陸と海のプレートがあり、プレート境界が房総半島周辺に集中していることがわかる。緑色の矢印は、ユーラシアプレートに対する各プレートの相対速度を示している。
また、外房の東方海域には、フィリピン海プレート、太平洋プレート、北アメリカプレートの3つの境界が会合する点があり、ここは「房総沖三重会合点」と呼ばれ、3つの海溝が会合する地球上で唯一の場所として知られている。房総半島は、海洋プレートの沈み込み帯と呼ばれる地域にあり、大地はプレートの沈み込みの影響を強く反映した特徴をもっている。繰り返し発生する大規模地震とこれに伴う房総半島の隆起も海洋プレートの沈み込みの影響といえる。
日本列島周辺のプレート配列『千葉県の自然誌 本編1 千葉県の自然』P17 1996.3発行
▶房総半島の成り立ち(Ⅱ)
もう一つ、房総の地質の特徴に大きく関わることとして、房総半島は大地溝帯(フォッサマグナ)の東端に位置するということがある。大地溝帯は、日本列島が大陸から離れ日本海が拡大すると同時に形成された。下図のとおり、大地溝帯の西端は、糸魚川-静岡構造線という日本列島を横断する一連の断層であることが明らかであるが、東端については、埋没し不明確となっている。現在、大地溝帯の東端は柏崎―千葉構造線と新発田―小出構造線で区分される構造線付近であるとされている。
大地溝帯は2つの大陸プレートの境界に位置する大地の大きな溝であるが、この溝の中で多くの火山が噴火し、噴出物や堆積物で埋められて形成されたため、地質年代が新しく、柔らかく崩れやすいという特徴がある。房総の地質は、殆どが第4紀層と第3紀層であり、年代としては5千万年以内の地質である。房総半島では南ほど古い地層が表層を形成しており、各地層の年代は火山灰の鍵層の研究から詳しく調べられ、第3紀層の全国的な基準ともなっている。
特に、小糸川源流地域に当たる清和県民の森は、険しいV字谷が形成されているが、これは、房総半島中部以南が繰り返し起こる大規模地震のたびに隆起し続けてきたことと符合する。
沢沿いには、フサザクラなどの温帯落葉樹林、中腹にはフォッサマグナ要素植物のマメザクラ、オオシマザクラ、シバヤナギなど、尾根にはツガ、ヒメコマツなどの中間温帯針葉樹林が見られる環境が生まれた。
▶房総半島中南部のタービタイト層について
清和県民の森から東京大学千葉演習林に至る地域の標高は150~300mで上総丘陵と呼ばれるが、標高差は小さいながら極めて険しい山岳地形を呈している。一方、渓床勾配は0.5%未満と極めて小さく、谷の底は鍋底のように平坦。地質はは、砂岩と泥岩の互層で、渓床はさながら洗たく板の様相を呈する。このような地層をタービタイト層(乱泥流堆積物)と呼び、数百万年前に海底斜面で繰り返し起きた斜面崩壊により形成されたものである。
すなわち、海底で乱泥流が発生すると比較的粒径が大きい砂はすぐに沈降するが、粒形の小さいシルトはゆっくり沈降するため、砂と泥の層が分離して堆積し、砂層と泥層がセットとなって堆積することにより形成されたものである。
▶「チバニアン」について
第4紀更新世中期に当たる77.4万年前に地球の地磁気が最後に逆転し、この地層は、千葉県市原市田淵の養老川右岸に立つと目前に露頭として観察できる。この地磁気逆転があった77.4万年前から12.9万年前までの期間の地質年代を世界共通の名称として「チバニアン(千葉の時代)」と呼ぶことが、2020年1月に国際地質科学連合で決定され、現地では、見学施設が徐々に整備されている。2022年5月には、現地の地質境界にゴールデンスパイクが打設された。
▶北総台地の谷津地形の成り立ち
約2万年前の最終氷期には、海水面は、現在より約130m低かったと考えられており、この時代に下総台地は浸食開析され、谷底低地及びこの谷口をふさぐ砂州地形により構成された。
谷底低地は、6000年前の縄文海進に際しては深い入江となり、湾口の砂州の形成により縄文後期には谷に沿って泥炭の形成が始まった。泥炭の深さは、場所によっては30m以上にもなり、モウセンゴケ、イシモチソウ、ミミカキグサ、イヌタヌキモ等の食虫植物やノハナショウブ、コバギボウシ、コオニユリ等の様々な湿原の植物が保全されている場所もある。
深い入江が発達した千葉市の都川流域では多くの縄文集落が形成された。その後、谷津は谷津田として利用されたが、近年は、休耕田が増加し、ハンノキ林が復活しつつある谷津もある。