千葉県の自然と森林・林業


▶童謡 「里の秋」と「背戸山」

しずかな しずかな 里の秋

お背戸に 木の実の 落ちる夜は

ああ母さんと ただ二人

栗の実 煮てます いろりばた

童謡の「里の秋」は、旧・成東町(現・山武市)出身の国民学校教師である佐藤信夫による作詞でありこの地方の里山の情景が歌われているとされる。
歌詞にある「背戸」とは、辞書によると、隠れた場所、裏庭などの意味。

写真は、山武市の旧家N氏宅の情景で、家の背後には、樹齢200年を超えるスギの巨木林が見られる。
この地方では「背戸山(せとやま)」と呼ばれ、江戸時代からの先進林業地としての山武林業を象徴する景色といえる。

山武地方の旧家は、家の前に谷津田が広がり、家を囲んで屋敷林があり、竹林、ケヤキ、シラカシ、コナラやクヌギ、カキノキ、クリなどが植えられている。
屋敷林は、防風林であると同時に、農具や燃料の供給源としての農用林であるが
山武林業は農用林の発展形態として成立した林業といわれ台地の上は畑、畑の周囲は、マツ林やスギ林で囲まれていた。

また、わが国では珍しい平地林業であること、また、マツとスギの二段林施業や植林地での落花生の耕作(木場作)が行われたことなどが山武林業の特徴として、広く伝えられている。

山武市埴谷の樹齢200年を超えるスギ巨木林
林内の写真 下木はヒノキ70年生


       

林地の傾斜が小さい場所では、昭和40年代頃まで、伐採場所から直接馬による搬出が行われていた。また、松くい虫被害がまん延する昭和50年代まで
マツの前植によるマツ-スギの二段林が見られた。(写真)
このマツ-スギ二段林施業は、冬の低温や年間を通じて比較的雨量が少ないというスギの生育の適地とはいえないこの地方の気候のもとで理にかなった施業方法であった。

馬によるサンブスギの搬出
マツ-スギ二段林施業

▶品種「サンブスギ」について

昭和40年代まで盛んに植えられたスギの品種、サンブスギの苗木は挿し木苗であり、全てクローン苗で、全く同じ遺伝子を持つ品種で、県内はもとより、全国各地でも植栽された。

特徴は、幹は完満通直で真円性が高く、樹冠が小さい、枝は細く枯れあがりが早い、成長が早い、心材部が多く辺材部が少ない
心材の油分が多くツヤがある紅赤色で美しい、材の強度が強いなど,典型的な優良品種とされ北総台地を中心に広く植栽された。
しかし、スギ非赤枯性溝腐病に極めて弱いことがわかり、北総のサンブスギ林のほとんどが罹病した。

サンブスギ伐採木

▶スギ非赤枯性溝腐病

平成時代になる頃から、スギ非赤枯性溝腐病がまん延し、県内のサンブスギ植栽地は壊滅的な状態となった。
この病気は、チャアナタケモドキという木材腐朽菌が枯枝から入り、生きた幹を腐らせ、下刈りや除伐・枝打ちの保育時期が終わり成長が盛んになる20年生頃に
幹の一番玉に溝状の腐れとなって現れるもの。
材としての価値が殆どなくなり、強風時には幹が折損する。現在は、サンブスギの苗木は生産されていない。

チャアナタケモドキの子実体
スギ非赤枯性溝腐病林分の強風による折損

▶山武林業の歴史と現在

山武林業の歴史は18世紀の江戸時代に始まるとされ、当初は、九十九里浜沿岸のイワシ漁の船材としての需要があったとされる。
また、明治時代には、伊藤佐千夫と共に活動したアララギ派の歌人、蕨真一郎は、森林美の概念を実現すべく、私費を投じて埴谷農林学校を創立運営し、山武を一大林業地に育てた。
現在も高齢級のスギが多く残り、地域の林業に対する意識は極めて高い。

2019年の台風19号に際しては、山武地方をはじめ、房総半島全域で強風による電柱・家屋・森林被害が発生した。
これを契機に、「山武市森林づくり審議会」が設置され、新たな森づくりの方向を
「文化」、「教育」、「木材資源」、「災害抑制」、「水源」、「快適環境」の6つの項目ごとに目標を定め,持続可能な森林づくりを進める「山武市森林づくりマスタープラン」を策定。
平地林の被害跡地での数ヘクタール単位での省力的な再造林など、森林所有者同士の協力もあり,地域の特徴を活かした新たな森づくりの取組が始まっている。
写真はサンブスギ被害跡地へのヒノキ再造林地(撮影2023.8.1)
千葉県森林組合が受託し下刈の省力化に取組んでいる

以下は、房総半島における垂直分布の寸づまり現象の全体像について、主として2つの著書からの抜粋引用及び現地の写真(筆者撮影)により説明したものです。
2つの著書とは、『新版 千葉県植物誌』と『千葉県の自然誌 本編5 千葉県の植物2植生』です。

▶千葉県の森林の概況と「垂直分布の寸詰まり現象」
千葉県の森林の概況について述べた最初の資料は、沼田眞氏(1917~2001:日本生態学会会長、日本自然保護協会初代会長、日本植物学会会長、千葉県中央博物館初代会長、)が、1964年に学術誌『遺伝』に掲載したものであると、ご自身が、千葉県生物学会編1975.11発行の『新版 千葉県植物誌』P27に記されている。

その後沼田氏は、千葉県の森林の概況を、改めて「垂直分布帯の寸づまり現象」という表現を加え、房総の森林が極めて特徴的で魅力的であることを強調し、広く一般に流布された。(沼田真1970 垂直の寸詰まり現象 朝日新聞1970.4.7夕刊 研究ノート/沼田真 1971 山の自然保護 山と渓谷No.393,103-106)

以下は、1975.11発行の『新版 千葉県植物誌』P27「沼田眞 千葉県の植生の概況」の引用(抜粋)である。

「私(沼田眞氏)は千葉県に住むようになってからしばらくの間、一番魅力を感じたのは海岸植生で、しばらくそこで仕事をした。とくに海岸砂地の草本性植生から、のちに海岸林、また竹林あるいは草本と対象を広げていったが、垂直分布帯のような問題には高い山もないことからさほど興味ももたなかった。しかし、少し歩いてみると低山地帯独特の面白さもあり、特に寸づまり現象を確認してからは興味が倍増した。 その第一の例がヒメコマツであるが、千葉県の温量指数からすると分布しないはずのものである。

君津市三島 ヒメコマツ

千葉県は、総じて気候的には暖温帯であり極相は照葉樹林、また、高山が無く地形は台地や丘陵地であることから、植生の垂直分布の変化はないように見える。だがこのことについては、「垂直分布の寸づまり現象」としてかつて指摘したように(沼田1970、1971)、千葉県は、300~400mの低山にもかかわらず、大きくいって
①下部照葉樹林帯(タブ-シイ林) ②上部照葉樹林帯(モミ-カシ林) ③下部山地帯(中間温帯性)常緑針葉樹林(ツガ-ヒメコマツ林)の3つのゾーンに区別することができる。

▶千葉県の3つのゾーンの樹林帯と温量指数(※)
沼田氏は同著で、「この地区(君津市三島・清和地区)では、ヒメコマツやツガの分布は考えられないにもかかわらず、標高170m以上に分布している。千葉県のヒメコマツの場合、おそらく歴史的な分布の遺存的なものと考えられよう(沼田1970 未発表)。現在の気候だけでなく、古東京湾時代前後の歴史的背景も考慮する必要がある。」

(※)日本の植物生態学者 吉良竜夫氏が考案したもので、暖かさの指数ともいわれる。植物の成長に必要な最低気温を5℃と考え。月平均気温が5℃以上の月から5を惹いた数値を合計したもの。植生帯の指標となる

▶なぜ、千葉県は高い山がないにもかかわらず多様な森林型が分布しているのか?
温量指数からは、存在しないはずのツガやヒメコマツが房総丘陵に生育している理由については、2001.3発行『千葉県の自然誌 本編5千葉県の植物2植生』に、以下のとおりふれられている。北半球の植生分布を考える上で、高度差が大きいヒマラヤは重要な基準値である。

「(P105~106)千葉県の常緑広葉樹林は、標高的にはヒマラヤの1500~2000mぐらいに相当するので、上部・下部常緑広葉樹林帯(スダジイ林の下部とカシ類林の上部)の移行的な部分に当たっている。ヒマラヤがある北緯30度付近までは、低地から森林限界まで常緑林になっている(熱帯型垂直分布帯)。
しかし、ヒマラヤ付近から北方に向かって熱帯型の植生帯の分布標高が急激に下がり始め、日本付近で低地に降りる。そして、その上部には温帯型の植生帯がその上部に重なる形になる。熱帯型垂直分布帯と温帯型垂直分布帯の2つの移行が、千葉県を含む北緯25~30度付近の、ごく限られた範囲で起きている。この移行は、常緑広葉樹林の分布の北限を決めている冬の低温条件がこの緯度域で著しく変化するために起こる。
すなわち、この地域では北方に向かって冬の温度が低下する割には夏の温度はあまり変化しないので、年較差はどんどん大きくなる。
夏冬の温度差が特に大きいのは、日本のこの付近で熱帯気団と寒帯気団が交差する地域にあたっているためである。

千葉県はちょうどこの緯度的な移行域に位置しているため、高い山がないにもかかわらず多様な森林型が分布している。 樹木の主要な3つの生活型である、常緑広葉樹林、落葉広葉樹林、針葉樹林のそれぞれが、地形や斜面の方位に応じてモザイク的ともいえる細かいテクスチャですみ分け共存している。これは決して一般的なことではなく、移行域に位置する千葉県の植生のユニークさを示しているのである。しかも、これら3つ森林型は、それぞれ異なる地理的、進化史的背景を反映しており、こうした背景を知ることによって、 興味深い植生構造を読み取ることができる。」

▶「寸づまり現象」の用語について
前掲の『千葉県の自然誌 本編5千葉県の植物2植生』巻末の用語解説P778では、「標高400mにも満たない房総丘陵で、1000m級のいろいろな要素が含まれている。その現象のこと。房総丘陵が西方と陸続きで、しかも寒冷気候の時代に、山地性の植生が分布を広めた。その後、温暖な気候になって、照葉樹林の勢力が増したが、標高から見て垂直分布帯をつくる余地のない房総では、いろいろな植生が入り交じることになった。山地性のものは、地形の変化の中でもわずかな適地をもとめて生き延びてきたのであろう。」

▶南北斜面で変化する植生の事例
ヒメコマツやツガが見られる地域の北側に位置する、長南町笠森や長柄町の権現森では、南側斜面は常緑樹林、北側斜面は落葉樹林が住み分けて生育している様子が見られる。権現森の南斜面はシイ、タブノキ、カゴノキ等の常緑樹林であるが、北側はケヤキ、ムクノキなどの落葉樹林となっている。笠森寺自然林付近の稜線を歩くと、やせ尾根の南側はスダジイ主体の照葉樹林が主体であるが、北側にはコナラ等の落葉樹が生育している状況が見られる。

長南町笠森 南斜面スダジイ北斜面コナラ

このような目まぐるしい植生の変化についても、垂直分布帯を作る余地のない房総において、山地性のものが地形の変化の中でわずかな適地をもとめて生育している姿の一つとも考えられる。(長南町、長柄町の南北斜面の植生の対比写真参照)  

▶長柄町権現森 南斜面

タブノキ
カゴノキ
スダジイ

▶長柄町権現森 北斜面

ムクノキ
ケヤキ
ケヤキ

▶長南町笠森           

南斜面 スダジイ
北斜面 コナラ
PAGE TOP